君さえいれば-1

SHIRO HONJYO

「テレビ出演?」
 思わず声を揃えて聞き返した僕とキリエに、シュウヘイは「うん」と頷いてニコッと笑った。シオは背筋を正したまま、首だけ動かして僕らの顔を見ていた。
 昨日、突然彼から誘いがあって、僕らは新宿のとあるレストランに居た。ウエイターにボトルワインを注文する彼に、キリエがテーブルに身を乗り出して言った。
「だってシュウヘイ、テレビなんて出るの嫌いだって言ってたじゃない」
「それは事件の度に記者会見開いて、責任者として出なくちゃいけなかったからだよ。今度は違うんだ。ほら見て」
 彼は鞄からいそいそとA4版の紙を取り出して、僕らに一枚ずつ配った。
「ノハラと一緒なんだ」
「へっ」
 僕とキリエが再び同時に言うと、彼は「人間ここまでにこやかになれるのか」と思う程の笑顔で「うんうん」と首を縦にぶんぶん振った。
 ノハラと一緒。
 それが余程嬉しかったのだろう。アンドロイドのシオの分までプリントアウトされたメールの宛名は、確かに『桜木修平様、小宮山のはら様』となっている。シオは熱心に読んでいたが、僕はその先を読む気にもなれず、それを折り畳んでテーブルの端に放った。メールを読み終えたキリエが「私、この番組知ってる」と言って、運ばれたワインをグラスに注いだ。
「深夜にやってる奴でしょ?二組のカップルが出場して、ゲームで対戦して、優勝すると旅行に行けるのよねえ!」
「うんうん」ひたすら笑顔で頷くシュウヘイ。
 壊れたプレス機のように頷き続ける一見バカなこの男。
 桜木修平は、シェア世界トップのアンドロイドメーカー、ハンズ・アンド・ハーツ社で製品開発に携わっており、技術者として優秀な人材である。そして、僕の横に座って何も食べずに僕らの話を聞いているシオは、HAHの介護型アンドロイドなのだ。
 そして僕、本城志郎はシオの所有者として、シュウヘイとも縁あって現在のつきあいがある。
「こんなの、いつ申し込んだんだよ」と、僕は尋ねた。
「申し込んでないよ。知り合いがね、この番組のプロデューサーをしてるんだ。それで、僕とノハラに出場して欲しい、と直々に声がかかったってわけ」
「へーえ。でも………」
 僕とキリエは顔を見合わせ、シュウヘイを振り向いた。
「出場するのは、恋人同士なんでしょ」
「うん。この番組が深夜とはいえ日本全国にオンエアされて、世間の誰もが僕らを恋人と認めてくれる。そうなればノハラも認めざるを得ないだろう」
     悪魔。
 思わずテーブルに突っ伏した僕とキリエに、シオが「どこか痛い?」と心配そうに尋ねる。だがシュウヘイはもう何も視界に入っていないのだろう、夢を見るような目つきで一人で喋っていた。
「そして優勝、沖縄旅行だ。照りつける日差し、吹き渡る潮風、そしてノハラの水着姿。胸がなくたって僕は気にしない、青く広がる海が僕らを祝福してくれる。あ、そのまま向こうで結婚式挙げるのもいいな」
 ノハラがここにいたら殴り倒されているだろう。
「…それで、ノハラは出てもいいって言ったの?」
「………」
 シュウヘイは笑顔でどこかを見つめたまま十秒間、石になっていたが、「まあ、そういうわけだから」と僕らのグラスにワインをなみなみと注いだ。
「ぜひ応援に来てくれ。対戦相手に応援団があってこっちにないんじゃ、格好がつかない。今日は僕のおごりだ。好きな物頼んでいいよ」
「じゃ私タンシチュー」
「僕は合鴨のスモークとカプレーゼ、あとカルボナーラ」
「食後にショコラケーキとシャーベットもつけてね」
「あ、僕も食後にカプチーノ貰おうかな」
「………」
 シュウヘイは笑顔で僕らを見つめたまま二十秒間、石になっていたが、笑顔のままだったのでシオも心配しなかった。




MYSTERY WRITER

 担当編集者との打ち合わせを終えて部屋に戻ると、留守番電話のランプが点滅していた。ボタンを押すと十件と告げてテープが回り始める。私は「何や、締切ならちゃんと守っとるぞ」と独りごちた。
「アリス、俺だ」
 友人、火村の声だ。嫌な予感。「せっかく今日は焼き肉やったのに…」私は痛み始めた胃の辺りを手のひらで押さえた。
「…話したいことがあるんだが…、後でまた電話する」
 ピーッ。
「俺だ。まだ戻らないのか。後でまた」
 ピーッ。
「俺だ…。この一大事に何処へ行ってるんだ。どうせまたサボってぼーっと茶でも飲んでるんだろう」
「アホかあ!俺かて仕事や!」
 ピーッ。
「俺だ。この時間まで戻らないのか…」と、溜息を吐き「打ち合わせとか言って、焼き肉でも食ってるんだろう」
「大きなお世話や!」
 ピーッ。
「アリス、まだ戻らないのか!お父さんはそんな風に育てた覚えは!」
「いつ俺を育てた!」
 ピーッ。
 私はぐったりと床に果てた。
 ここまでしつこく電話をかけてくるからには余程のことなのだろうが、一大事と言っておきながら、それが何であるかには一言も触れていない。もしこれが何らかの事件であるなら、要件を手短に言うだろう。この男    犯罪社会学者であり、多くの事件の捜査にかかわって来た、火村英生ならば。
 私は、火村のメッセージの後に電話機が告げる受話時刻の間隔がだんだん短くなっていることに気づいた。
 ピーッ。
「遅い!もういい、今から行く!」
「…何?」
 床から顔を上げたその時、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開ける気力もない。なかったが、火村は「アリス?帰ってるのか」と勝手にドアを開けて中に入ってきた。
「どこだアリス……ああ、そこにいたのか」
「踏んでから気づくなや……」
 火村は倒れていた私の背中から降りて、「実はこんなメールが届いてな」とジャケットの内ポケットから紙を一枚取り出した。私は傍らの椅子を引いて腰掛け、それを受け取って読んだ。
「何やこれ、テレビ出演?おまえがか。これは…またえらい番組やな。そんで慌てとったんやな」
「事件に関するコメントならまだしも、……」
 そこまで言って彼は手のひらを口に当てて横を向いた。耳まで赤い。私は再びメールの本文に目を落とした。
 それによると、火村に出演依頼を申し込んで来た番組は、恋人と一緒に出演し、ゲームをクリアすれば賞品が貰えるという内容らしい。
「何でこんな番組から、おまえのとこに依頼が来るねん」
「番組のスタッフに知り合いがいてな。それでたまたま俺の所に話が来たんだが」
「嫌なら断ればええやないか。……ほんまはそう嫌でもないんやろ?」
 私の問い掛けに、彼は黙り込んだ。
 彼の恋人。
 それは彼が助教授を務める英都大学の学生である。有栖川有栖といって、私と同姓同名だが、私とは似ても似つかない(当然だ)可愛らしい女の子だ。十歳以上も歳が離れていることも火村を戸惑わせているのだろうが、
「優勝すれば沖縄旅行で、負けてもテレビだの何だの、賞品は貰えるらしい。アリスが何を喜ぶのか俺にはわからないが……」
 なるほど。要するに火村は、彼女に何かを贈るきっかけが欲しいのだ。
 彼は(講義とは別に)女子学生に人気の出るようなルックスと雰囲気の持ち主だが、恋愛に関してはまるで無関心を装って、そうした事を自分の周囲から退けているように私には見えていた。
 だから火村から彼女への思いを打ち明けられた時にはとても驚いた。何より彼自身が自分の感情を持て余していて、どうしていいか判らないのである。そのため今も彼は、三十路の坂を上り始めた男とはとても思えぬような赤い顔で、それを私に見られることに憮然としながら、意見を求めているのだ。
 数々の難事件を解決に導いた推理力も、乙女心には無効らしい。
 こんな火村を見ていると、私は時々、人を愛することに背を向けていた(ように見えていた)彼が変わったことを、友人として少し嬉しく思う。
 だからこそ、彼が悩み戸惑う度に話を聞き、力になってやりたい、と思っているのだが    
「俺はアリスの笑顔のためなら何だってしてやりたいんだ」
「……頼むから、そういう事は心の中だけで言えや」
 私は胃がキリキリと痛くなってデスクに突っ伏した。




YUKA IZUMI

 矢島開発部長が入力室のドアを開けて顔を覗かせたのは始業から一時間程経ってからで、私はマシンのキーを叩きながら横目でそれを見て、どうしたんだろう、と思った。矢島部長はきょろきょろと見回してから部屋に入ると市川チーフと少し話をし、こちらに近づいて来た。
「泉さん、ちょっと来てくれませんか。市川君には許可を貰ってますから」
 マシンをサスペンドして席を後にする。入力室を出て、部長に連れて来られた休憩所には、開発部の澤田さんと古田さん、そして、なぜか諒介がいた。
 諒介は久しぶりに見るスーツ姿で(そもそも彼は大阪の会社に勤めているので、会うのも久しぶりである)、出張で東京に出てきたのだろうと思われた。ジャケットの胸には外来者のバッヂを着けている。話しかけられる雰囲気ではなかったので、部長に言われるまま、私は古田さんの隣に腰を下ろした。
 部長は私たちの正面に座り、私に向かって「みんなにはもう話したんだけどね」と微笑んだ。矢島部長はハンサムで笑顔がとても素敵で、何となく俯いてしまう。
「クライアントがテレビ番組を制作しているんだけど、何か急に人手が足りないということになってね。それで、手伝ってくれる人を探してるんだ。今回限りだし、すぐ後に次の契約も控えているから、それならうちから人を出そうということになって。女の子が一人欲しいって話なので、泉さん、やってもらえませんか?出向扱いになります」
「…出向、ですか」
「そう。この四人で」
「この四人、ですか…?」
 いいのだろうか。諒介は余所の会社の人だけど。そんな私の思いを察して、矢島部長は「和泉君にはとばっちりだけど」と苦笑した。
「彼が適任だと思ったから」
「適任?」と諒介が聞き返す。
「うん。番組のスタッフが足りなくてね。一人、カメラマンが欲しいそうだ」
「…テレビカメラですよね」
と言いながら、もう諒介の目がきらきらしている。彼は映画好きで、ビデオを撮るのが趣味なのだ。
 契約を控えたクライアントの頼みとあっては矢島部長も断れなかったのだろう。そして、その矢島部長の頼みである。私たちは「はい」と頷いた。
「じゃあ、早速行ってください。多少遅くなるだろうけど時間外手当も出ますから」
 よろしく、と部長は頭を下げて、休憩所を離れた。残った私たちは顔を見合わせて、何となく、笑った。
「テレビのお仕事ね。何やらされるんだか」
 そう言いながら古田さんは楽しそうだ。いつも楽しそうに仕事をしている人だけど。
「スタッフやろ?どーせ裏方、外部にやらせるくらいなんやから、力仕事くらいやろ。着替えてった方が良くないか?」
 さすが澤田さん、細かい気配り。皆、頷いた。
「テレビカメラか…」
 諒介は首を横に揺らしてニコニコしている。
「私は何をするのかな。女の人、って指定してくるなんて」
「あれちゃうか?AD。いっちゃん下っ端のパシリ」
「出演者に弁当配ったりして、結構気を遣うでしょう。女性の方が向いてるかもね」
「弁当か…」
 私たちはゆっくりと、ニコニコしている諒介を振り返った。