僕と傘




 一番古い記憶は黄色い傘だ。
 雨の朝、長靴に足を突っ込んで、玄関で新しい傘を開いてみせた。
 ≪ぼくのかさ≫。
 それはピカピカで、僕の大好きだった宇宙刑事の絵が付いていて、何より、僕の傘だった。
 それまで僕はレインコートを着て、祖父と手をつないで祖父の傘に入らなければならなかった。けれど入園したばかりの幼稚園へはバスで通っていた。レインコートはシートを濡らしてしまう。隣に座る何とかくんが「つめたいだろーっ」って、この前僕をぶったんだよ、と傘をねだったのだと後に母は言った。四月の雨の朝、そんなに嬉しいか、と微笑む祖父の視線を浴びて、僕は≪あめのひならゆううつなようちえんへいくのもいい≫なんて考えていた。




 入園式のその日から、僕は問題児だった。門から先へ入るのを嫌がり、式の最中に泣き出し、翌日には≪なきむし≫のレッテルが貼られ、泣きながら何とかくんと取っ組み合いの喧嘩をして、バスにも乗らずに脱走して徒歩で帰宅した。僕は覚えていないが、母は未だに思い出しては笑う。生来体が弱く寝たり起きたりを繰り返して家の外の世界を知らなかった僕の、初めての試練だったと言える。
 その朝、僕はレインコートは着ないで、傘を差すことが嬉しかった。これで他の子たちにいじめられない。祖父よりも先に表に出て、傘を開いた。

 ≪痛い痛い痛い痛い痛い…≫

 悲鳴が頭の上でエコーするように、無数に聞こえた。ザアアと降りしきる雨が傘に当たっている震動が傘の柄を伝って僕を震わせた。
 僕はうわあと声を上げて傘を放り出した。途端に悲鳴は聞こえなくなったが、玄関に飛び込んで、祖父の腰にすがりついた。僕の両腕を取って手を握った祖父は腰を落として、僕と目線を合わせた。
「どうした」
「怖いの。傘、怖いの。いっぱい声がするの」
 動悸がどんどん早くなり、クラクラと眩暈がした。僕は祖父の胸に倒れ込んで、シャツをぎゅっと掴んだ。祖父は僕の背中をさすって、「そうか、今日は休もうな」と抱き上げて僕の部屋へ向かった。
 その後は高熱を出してしまって、朧にしか覚えていない。
 ただ、敷いた布団の枕元に座った祖父が、ゆっくりと話したことは覚えている。
「水にはね、心があるんだよ」と。
「そして雨の声が一番よく聞こえるのが傘の下なんだよ。他の誰もみんな聞いているけれど、雨音の方がよく聞こえるから、雨の心が判らないんだ。なあ、雨と友達になってごらん。友達になって、雨の声を聞いてごらん。雨は傘を痛がるけど、優しくなぐさめておやり」
 僕はそれが祖父の言うことだから信じて疑わなかった。それ以来、僕は傘を滅多に差さなくなった。びしょ濡れでは困る時だけは傘を差す。だが下校の時など、もう家に帰るだけの時になると、傘は開かなかった。
 僕を濡らす雨はとても優しかった。
 小声でそっと僕の名を呼び、僕に触れてくる。
 晴れが続いて雨が降らなかった後などは、殊に優しかった。
 そんな様子を見たクラスメイトたちが僕を変わっているとバカにしたけど、そんなことは気にならなかった。小学校、中学校と進み、大きくなればなるほど、雨の言葉がよく判るようになっていった。




 雨は雲から決死のダイブをして、地上に恵みをもたらし、土や川に還ってゆく。その流れは海に通じていて、海からまた天に昇って雲になるのだ。その循環の中で、雲に乗り旅した遠くの街のことや、そこで地上に降りたこと、そんな彼らの旅の話が好きだった。時に災害を起こすこともあったがそれは彼らの本意ではなく、彼らもまた悲しんでいたことも聞いていた。
 雨と親しくなってから、僕は言動に気をつけるようになった。そんな処世術も雨から教わった。今の僕は、傘を差さないことを除けば、平凡な人間に見える筈だ。
 霖が霖霖洞の看板の裏に隠れているのを教えてくれたのも服についた雨粒だった。誰かいるよ、と小さな囁き。
 そして寂しそうだと聞こえた。
 まるで君のようだね、と。
 僕は霖を拾って飼うことにした。似た者どうし、一緒に暮らせば、寂しくはない。




 ≪優しくなぐさめておやり≫
 そうして僕は、霖の言葉が判るような気がした。聞こえる訳じゃないけど、僕と霖には通い合う何かがある。それは雨がくれた僕へのなぐさめのようなものだった。霖、と呼ぶ度にその名前が胸に染み入る心地だった。
 まるで雨が乾いた大地に染み込むように。




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