「───3、2、1、0!」
 賑やかなテレビの音で目を覚ました。夜空一杯に広がる花火と新年を祝う人々の姿が画面に映し出されている。
 いつのまに寝ちゃってたんだ……
 こたつで寝ていた私はむくりと起き上がり、ストーブが点けっぱなしだったことに驚いた。「危なかった…」と独り呟いて窓を開ける。かすかに届く除夜の鐘に、ふっと笑った。───年越しそば、食べそびれたな。
 従姉の菜摘姉ちゃんは暮れから泊まりにおいでと言ってくれたが、店もあるし慌ただしいだろうと思って断った。私も自分の部屋の大掃除をしなければならなかったし………それで疲れていたのだろう、テレビを見るうちに寝入ってしまったのだった。
 換気をする間にお茶をいれ、窓を閉めてこたつに戻ってテレビのチャンネルを変える。年が明けてすぐの深夜は、どこも朝からの特別番組までの間つなぎ。要するにつまらない。
「やっぱり、菜摘姉ちゃんち行けば良かったかなあ…」
 ごろん、と横になって座布団を抱えた。耳障りな笑い声───テレビを消した。
 窓の下の通りを人の歩く気配がする。静かだが、アパートの周囲の部屋の人達が起きているのがわかる。テレビの音、話し声、聞こえそうで聞こえない音の震え。
 ≪───今こうして話す声のように、波動がそれらの物質にぶつかりながら伝わって、僕らは物質の色や形、ひいては『世界』を知ることが出来るわけだ≫
 部屋の外の世界が、やけに遠くに感じる。
「…あ。そうだ」
 パソコンを起動して、先日送られて来たラジオからのメールを開いた。
 ラジオ。
 友人のあだ名である。私はリスナーではなくパソコと呼ばれている。彼が時々ラジオと名乗るのは、ネットでのハンドルネームでもあるからだ。メールの差出人名は本名になっている。メールはあまり利用してないらしい。
 波動───光や電波のような≪波≫は人の体からも発せられている、彼はそう語る。そして人の耳には聞こえない、心の声を聞く。それがラジオの名のゆえんだ。
 ラジオとは六角屋という喫茶店で知り合った。常連客の彼とは、六角屋を訪ねれば五割の確率で遭遇していた。医学生である彼は実習が始まって以来、近くの書店でのアルバイトを減らして医者修行(語呂が良い)に励むことになり、六角屋へもあまり来れなくなるのだと先日会った時に話していた。
 その時に教えてもらったのが、彼がよくアクセスしているというコミュニティサイトである。アバターを使って交流し、ほのぼのした雰囲気が良いのだとか。スマホに届いたメールをパソコンに転送しておいた。メールに書かれたアドレスをクリックすると、登録画面が表れた。
 アバターを作ってユーザー登録を済ませるとチュートリアル。私を招待したラジオが既に友達として登録されていた。チュートリアルも一通りこなすと、続きはまた明日、のようだ。アイテムがもらえた。
 アバターのいる部屋は引っ越して来たばかりのように閑散としていた。テーブルと椅子、段ボール箱。
 ラジオのページを覗いてみた。島に私と屋根色違いの一軒家。簡単なプロフィールと『日記』のタイトルが並ぶ。まずは日記を読んでみる事にした。
 ……へえ、七十年代の曲が好きなのか。若いのに。名前しか知らない人の話ばかりで、首を捻りながら読んだ。
 最近の記事にこんな投稿があった。

 来年1月12日より、銀座の守屋画廊にて『夜の幻想展』があります。
 遠山和樹をはじめ若手作家の作品展示販売です。僕も行きます。

 ───遠山和樹?あの遠山さんだろうか。
 あの遠山さんとは六角屋のマスターだ。銅版画家とは聞いているが、この前訪ねた時にもそんな話は一言もなかった。───いや、以前にも空木秀二の世界展のことも教えてくれなかったし………
 私は思い切って、ラジオの部屋に入ってみた。ピンポーンと呼び鈴の後に表示された部屋に、誰かのアバターが居てびっくりした。
 頭の上に『ラジオ』と表示されていた。
 部屋は喫茶店だった。奥のドアから続くカウンター、テーブル席。六角屋だ、とすぐにわかった。
 慌てて「テキストを入力して『話す』をクリック」と書かれているところに挨拶文を書いた。

  海音: こんばんは
  ラジオ: あけましておめでとうございます
  海音: あけましておめでとうございます
  ラジオ: 今年もよろしく
  海音: 遠山和樹ってあの遠山さん?
  海音: あ、こちらこそよろしく
  ラジオ: あの遠山さんです

 やっぱり。教えてくれれば私だって見に行くのに───キーを叩いた。

  海音: 遠山さん、教えてくれなかった
  ラジオ: 僕も遠山さんからは聞いてません
  ラジオ: 守屋画廊から案内状を貰った
  ラジオ: 悪事千里を走る
  海音: 悪事かい
  ラジオ: 照れくさいんじゃないかな、遠山さんw
  海音: ラジはいつ行くの?
  ラジオ: 海音さんも行かれますか

 それなら一緒に行こうということになって、待ち合わせの日時と場所をスマホにメールする。了解、と返事が来た。
  ラジオ:せっかくだから街に出てみない?案内するよ
  ラジオ:神社に来て。鳥居のところにいるから
  海音:わかった

 仮想の街に出てみると、それが精緻によく出来ていると感心した。それでいてどこか愛嬌のあるデフォルメ。地図を開き、神社のある広場をクリックすると、鳥居の近くにラジオがいて、誰かと話をしているところだった。課金しているのだろう、和服姿の人だった。
 ラジ、と話しかけると「こちら友達の海音さんです」と紹介された。やや緊張しながら挨拶した。

  tomoh: あけましておめでとうございます
  海音: あけましておめでとうございます。はじめまして
  ラジオ: おめでとうございます
  tomoh: はじめまして。トモです(^_^)
  tomoh: 今、rhythmi氏がうちに来てます
  ラジオ: そうなんですか
  ラジオ: 知っていればオフがあったかもしれないのに
  tomoh: 彼には言えない事情がありまして(^_^;
  ラジオ: 何だろう
  tomoh: 言うなと後ろからどつかれました(ToT)
  tomoh: rhythmiに交代しました
  tomoh: あけましておめでとうございます
  海音:おめでとうございます。はじめまして
  ラジオ: おめでとうございます
  tomoh: どついてませんよw
  tomoh: 海音さんは、ここは初めてですか
  海音: はい
  tomoh: よろしく

 ───何だろう。雰囲気が変わった………

  tomoh: 今日は混んでますね
  ラジオ: 正月だからでしょう
  tomoh: 僕も久しぶりに来た

 同じ文字なのに、会話というのはやはり個性が出るものだ。洋楽の話になり、手を止めて新しく発言されるたびにスクロールしてゆくログウインドウを見ていた。意外にも、ラジオの発言は簡潔だった。淡々と会話が進む。一段落ついたところで、突然『ラジオ: 海音さん生きてる?』と話がこちらに向いた。

  海音: はい

 それではおやすみなさい、と挨拶を交わす頃には気が付いていた。
 同じ『tomoh:』で始まる発言なのに、こんなにも違うのか、と。
 黙って会話を見ている間、私はずっと緊張していたのだ。
 それから神社でバーチャルの初詣をして、ラジオの案内で一通りの広場を見た。ビルの並ぶ街や公園のある広場、様々な施設にはチャットルームがあると教えてくれた。先ほどのトモさんとは、彼の管理するサークルで知り合ったという。サークルにも『カフェ』と呼ばれるチャットルームがあり、共通の話題で盛り上がるらしい。「よかったらミオさんも入って」と誘われた。確かに、知り合いがラジオだけというのも寂しい気がした。「考えとく」と返事をして、ラジオと別れた。




 朝まで一眠り。目を覚ましてカーテンを開けると雪が降っていた。思わず「うわ…」と呟く。お正月に東京に雪が降るとは珍しい。窓を開けて、落ちてくる雪に手を伸ばした。
 ───雪の日は不思議。なぜだか懐かしい気持ちになる。
 真っ白な雪は見慣れた風景をかき消して、記憶の中の景色を呼び起こす。
 まるで、時を戻すように。
 この窓から同じように東さんと雪を見たことを思い出して照れた。照れ笑いしても一人。けれど淋しくはなかった。人と話をしたせいだろう。元旦はのんびりと。私はもう一度寝直すことにした。夢を見たかった。




 ≪───どこにも行かないことにしよう≫




 まぶたを開けると右目からこぼれた涙が鼻の付け根を伝って左目に入った。目を瞬いてみる。ぼんやりと夢の跡を探すが見つからない。何か夢を見ていたような気がするんだけど………。ベッドを抜け出し、お茶をいれにキッチンに立つ。視界がぼやけて目をこすった。寝過ぎかしら。こすってもこすっても、目が潤む。
 お餅を焼いて遅い昼食。そろそろいいかな、と菜摘姉ちゃんに電話をかけた。おめでとうございますと壁に向かってお辞儀をした。明日の午後に行くと話して切る。
 その後はテレビを見たり落語の本を読んだりして過ごした。「これぞ日本のお正月よねえ…」話しかけても一人。日々のドサ回り、もとい外回りで駆けずり回るか、編集室に閉じこもってキリキリしながらの作業から解放されて、床に寝転がってぼんやりする。ごろごろ。ごろごろ。
 ───やっぱり落ち着かない!
 じっとしているのは性に合わないのだ。雪が止んでいるのを見て、近所のコンビニへ行くことにする。コートを着込んで表に出た。
 日は暮れて、積もった雪が青く光っていた。滑らないように車の轍の上を歩いた。駅前通りのコンビニで、アイスクリームと、買い忘れていたぽち袋を買う。太一の好きなアニメの絵の物を選んだ。
 ───雪がとっても青いから、遠回りして帰ろう………
 ちょっと違うけれど。昔の歌を思い出した。
 路地に入ると足跡がない。子供の頃、真新しい雪をきゅっと鳴らして踏むのが楽しかった。ブーツで来て正解、と路地を進む。きゅっ、きゅっ、と進んで、後ろを振り返った。
 私の足跡だけがくっきりと残っている。子供のように「へへ」と笑った。
 まるで真っ白な画用紙に線を引くような、そんな気持ちになる。
 足跡の少ない道を選んでいるうちに部屋から遠ざかっていった。アイスクリームがあったんだ、と慌てて部屋への道を戻った。食べながらテレビのお笑い番組を見るつもりだったのに、もう始まっている。少し柔らかくなったアイスを冷凍庫に入れた。こたつに入ると冷えた爪先がじんじんした。
「…くしゅっ」
 くしゃみをしても一人。
 買っておいたおせち料理をつまみながらテレビを見る。デザートのアイスクリームはバニラ。
 おなかがいっぱいになってネタ番組が終わると、急につまらなくなった。
 こうして部屋に一人でいると、お正月という気がしない。テレビの華やかな画面と賑やかな笑い声だけがいつもと違う。それが空々しくて、プチンとテレビを消した。代わりにパソコンの電源を入れ、例のサイトに繋いだ。
 有料のアバターの着せ替えを見る。無料の物もあるが、やはり有料の物の方が可愛い。「課金しちゃおうかな…」と、昨夜のラジオの課金服を思い出して、少しだけ課金した。他に着替えなくても良い程度に服や靴を揃えて買い、着替えてみた。ヘアスタイルもリアルに近いものを選んだ。それまで一目で非課金とわかる服装から、おしゃれになって、こういうのも楽しいんだろうな、と思った。
 またラジオの部屋を訪ねたが、今回は留守だった。伝言板に、tomohさんの「先ほどはありがとうございました」という一言と、rhythmiさんの「あけましておめでとうございます」という一言が残されていて、私は二人の島も覗きに行ってみた。tomohさんのプロフィールは好きなものなどずらっと並べてあり、会話の時の愛想の良さそのままだった。
「あー人間性出てる出てる」
 妙におかしかった。rhythmiさんは何て書いてるのかと見ると───
 白紙だった。