まず何から話せばいいだろう。
 目の前の人々……今、僕が置かれている状況からだろうか。
 まず、ここは救急病院の病棟の一室である。先程までICUに居た患者は、容体は落ち着いているものの、昏睡状態だ。
 その患者の顔を覗き込んで心配しているのが、老齢の男性と、制服姿の女子高生だ。ちなみに、廊下の長椅子に座っている男性も、患者が目覚めるのを待っている。彼は患者を轢き殺しそうになったトラック運転手である。その横には警察官も控えていた。
 医師が「もう目覚めてもいい頃なんですが」と溜息をついてベッドから離れ、その状況を廊下の警察官に伝えると、警官はトラック運転手を伴って警察へと向かうようだった。
 僕は医師の出て行った戸が閉まったところで、壁に寄りかかりベッドの方を見ていた。
 昏睡状態にあるのは、男子高校生───僕である。
 そりゃあ、目が覚めないよな。意識が体の外にあるんだから。
 老齢の男性、鎌田さんが意識のない僕に声をかける。
「陽ちゃんよう、親父さんが逝っちまってすぐ…こんな事になるなんてよう」
 涙声だった。女子高生、僕のクラスメイトの天ヶ瀬さんも「私のせいでこんな…」と声を詰まらせた。鎌田さんは「いいや」と小さく首を振った。
「お嬢ちゃんのせいじゃないさ。陽ちゃんが助けた事で自分を責めちゃあいけないよ」
「……」天ヶ瀬さんは言葉もなく涙をこぼした。
 ───戻りにくい。
 今にも死にそうだと思われてる僕は、今は目を開けるタイミングじゃない、と思った。そもそも、どうすれば意識を体に戻せるのかも判らなかった。
 不意にふっと誰かが側に立った感じがして、「陽一」と低く呼ばれた。親父の声……僕は目線を隣に向けた。
「なぜ神の言う通りにしなかったんだ。おまえがした事は、天界の魂管理を混乱させる事だったんだぞ」
「だって目の前でクラスメイト…知り合いの子が死ぬのをおとなしく見てろって、できるわけがないだろ」
と僕は彼女を見た。
 天ヶ瀬佳純は僕のクラスメイトであり、私立礼冠学園の有名人だ。『リアル天使』の異名で。
 中等部の頃から注目を集めていた彼女は小柄で背が低く、細身で、人形のような雰囲気を漂わせている。顔も千年に一度の美少女に引けを取らない、可愛らしい風貌だ。小鳥のようなか細い声で話し、所作もおとなしく、内気で恥ずかしがり屋らしい。校庭で体育の時間などはフェンスの向こうにギャラリーができる程の人気を誇り、高等部に入ってからは昨年、ミス礼冠に選ばれている。そんな彼女を、熱烈なファン達は『天使』と言うのだ。
 あんなか弱い子を───守ろうと思わない方がおかしいじゃないか。
 いや、そうでなくても、僕は同じ事をしたと思う。みすみす人が死ぬのを待って、魂を連れて天界へ導け、なんて僕には到底できない。
 親父は溜息をついて、「俺が死ぬのが早過ぎたからな」と呟いた。
「おまえに跡を継がせるのは早過ぎた。だがこれは八神家代々の仕事なんだぞ。それを肝に銘じておけ」
 そう言うと親父はふっと消えた。天ヶ瀬さんが椅子から立ち上がり、「ちょっとお手洗いへ…」と病室を出て行った。なんとなく心配で後を追った。
 女性用トイレの前で、天ヶ瀬さんは立ち止まり、突然右手で壁をドンと殴った。小声で言う。
「あのクソバカ野郎…、私のせいで死んだとかなったら許さねえぞ」
 ───はい?
 僕の中で、笑顔の『リアル天使』の姿がガラガラと崩れた。
 こんな……こんな子だっけ?天ヶ瀬さんって……
「死ぬまで許さねえからな。バカ野郎…」
 語尾が萎んで、彼女は俯き、涙をポロポロとこぼした。




 時を戻そう。話は二週間前まで遡る。親父は胃癌で、発見された時にはもう末期だった。病院で寝たきりの日々が続いた後、死の前日に僕と二人きりになって、こんな言葉を切り出した。
「これから父さんの言う事を信じろ。いいか、俺が死んだらおまえが俺の跡を継ぐ。おまえのことは鎌田さんに任せてあるが、自覚しておけ。八神家は代々、死神の仕事をして来た」
「え?」一瞬、何を言われたか判らなかった。
「死神と言っても人に取り憑いて殺すわけじゃない。死んだ人の御霊をあの世へ無事に送ってやるのが仕事だ。亡くなった人は、大抵はこの世に未練があるものだ。霊としてこの世に残りやすい。だが魂だけになった者は一度天界へ行かないと転生できないんだ。この世に残る魂の数が多過ぎると混乱が生じる。それを防ぐ為に魂を天界に送る。死後速やかに送る為には、予め死の予定者を、この世に何人かいる───そうだ、うちだけじゃない。他にも死神を務めている者がこの世にはいるんだ。死神達に死の予定を知らせ、準備をさせる、神がいる。俺が死んだら、神のお告げがおまえに来るようになる。覚悟しておけ」
「親父…、中二病?」
「茶化すな。真面目な話だ。俺が死んだら、おまえが跡を継いだ事になり、霊の姿が見えるようになる。その心算でいろ」
 親父の真顔に、僕は呆然とするしかなかった。そしてその翌日、親父は眠るように静かに逝ってしまった。
 何をしていいかも判らないまま、僕は喪主として葬儀場に居た。親父が任せている、と言った通り、実際に喪主としての立ち働きをしたのは鎌田さんだった。十年前に親父と離婚した母親も来ていて、葬儀が一通り終わったところで「陽一」と声を掛けてきた。
「何かあったら母さんを頼ってね」
とは言われたが、七歳で別れた母親だ。他人のように思えて仕方なかった。言葉も出ないまま、じっとしていると、夜の蝉の声がじわじわじわ…と辺りを支配した。
 それから僕は無気力に日々を過ごしていた。幽霊なんて見えないし、神のお告げもないじゃないか。やっぱり死の淵で親父は頭がこんがらがっていたんだ。そんな僕を鎌田さんは何くれとなく構って元気づけようとしてくれていた。
 鎌田さんは会社での親父の先輩で、今年還暦を迎えるという。家族がないせいか、僕を息子のように…?気遣ってくれていた。鎌田さんが居なかったら、僕は何も出来ずにいただろう。夏休み中なのが幸いして、僕はゆっくり考える事が出来た。
「死神かあ…本当に俺がそんなもんなのかな…」
 口に出して言ってみて、苦笑した。久しぶりに声を出した。しかし天の声は頭に響いて来ない。僕は、ばからしい、と思いながらトイレに入って戸を閉めた。その時───
 頭の上からふわり、と白い紙が一枚、落ちて来た。ゆっくりゆっくり降りて来る。僕は両手でそれを受け止めた。そこにはこう書いてあった。
『おまえが新しい死神か』
 下手くそな毛筆で、薄い紙に書いてあった。
 え?と思って上を見上げると、何もない空間にふわりと次の紙が現れて降りて来た。
『なんだか頼りないな』
 どういう意味だ。と思ったら、また一枚降りて来る。
『おまえの管轄では三日後まで死者はない。次のお告げはその時にまたする。尚、この紙は再生紙を使用しており、トイレに流せる。極秘の物だから、読んだら必ず流せ』
「流すよこんな物!」と僕は紙を便器に放って水を流した。
 トイレを出るとくらくらと眩暈がした。今のがお告げ?今のが神様?
 なぜトイレ?
 必ず流せ、と言うのだから、お告げはトイレで降りて来る物と思われた。極秘だからか───三日後。
 僕は落ち着きなく二日を過ごし、三日目の朝、緊張してトイレに入った。
 紙が落ちて来ない。
「何だよ、さっさとお告げしろよ」と呟くとふわっと紙が現れた。
『心の準備はいいか』
「うわ、びっくりした」と僕は胸に手を当てて片手で紙を掴まえた。
『今日、おまえが成仏させる死亡予定者は次の通り。天ヶ瀬佳純、十六歳。私立礼冠学園高等部二年。制服を着ているのですぐに判るだろう。午後四時二十八分、氷川神社前交差点にてトラックに轢かれ死亡。この世への執着は薄い娘なので説得は楽な筈である。氷川神社に天界への入り口を開ける。そこまで案内するだけでいい。おまえの初仕事だ。健闘を祈る。尚、この紙は極秘につき必ず───』
「流せばいいんだろ!」
と僕は紙を便器に投げ込もうとして、もう一度紙を見直した。
 天ヶ瀬さんが───
 クラスメイト達が『リアル天使』と呼んで、「お近づきになりてぇ」などと頬を染めて言っていたのを思い出した。
「神様のくせに死神のクラスメイトも知らないのかよ」
 ふっと紙が目の前に落ちた。『知っているが一応形式に則って書いただけだ』
「神のお告げにマニュアルがあるのかよ」
 そう言いながら、もう一度指令を読む。『この世への執着は薄い娘』という言葉が引っかかった。僕は紙をトイレに流して、四時になるまでずっと頭の中で交通事故のイメージを考えていた。食欲などない。昼飯も食べなかった。そうして四時に家を出て、自転車で氷川神社に向かった。鳥居の脇に自転車を停めて、少し境内を歩く。『天界への入り口』はまだ開いてないようだった。───四時二十五分になる。僕は交差点に立ち、学校のある方向を見た。遠く、制服姿の天ヶ瀬さんが歩いて来るのが見えた。部活だろうか、何部に入っているかも僕は知らなかった。通りを挟んだところで彼女は立ち止まった。信号待ちだ。向こうからトラックが走って来る。信号が黄色に変わったが、スピードを緩める気配はなかった。───信号無視する気だ。信号が変わり、天ヶ瀬さんが横断歩道を渡ろうとする。「危ない!」と僕は知らず叫んで走り出していた。彼女を掴まえ、歩道に投げた。そしてその場に残った僕が───
 跳ね飛ばされた。
 モノクロの景色がゆっくりと動いている。僕は宙に浮いていて、だんだん落ちてゆくのが判った。
 後頭部に激しい痛みを感じて───僕の意識はそこで途切れた。




 そして気がつくと、僕は意識のない僕がベッドに寝かされ、鎌田さんと天ヶ瀬さんに見守られているのを見た、という次第だ。
 ちょうどICUから一般病棟の個室に移されたところだった。全身打撲だけで済んだのが奇跡的だと言われた。あとは目覚めるのを待つばかりなのだが……
 どうやって戻ればいいんだ。
 トイレの神様は紙を落とすしかしないし、命を助ける神はいないんですか、と思ってみた。
 すると何かが突然、僕の頭を掴むように、こめかみに何かを押さえつけられた感じがして、僕は10センチ程、宙に浮いた。持ちげられてる?と思うと、そのまままっすぐ、スーッと僕の体の方に前進した。カクンと止まって、今度は横に移動する。僕の意識がちょうど寝ている僕の額の上辺りに来たところで、こめかみに触れていた何かの感触が消えた。クレーンゲームかよ、と思った瞬間、僕の意識が落ちて全身の痛みが伝わってきた。ゆっくりと目を開ける。
「陽ちゃん!」
「八神くん…」
 二人が同時に僕を呼んだ。良かった、良かったと繰り返し、鎌田さんはナースステーションに知らせて来る、と部屋を出て行った。天ヶ瀬さんはつうっと涙を流して「良かった…」と、顔を伏せ、額を僕の肩に付けた。
「ごめん、クソバカ野郎で」
 笑い混じりに言うと、彼女は驚いた顔を上げた。僕は痛む手を動かして彼女の頬の涙を拭った。
「心配して言ったんでしょ?ありがとう」
「…てめえ…」と天ヶ瀬さんが僕をにらんだ。
「何で知ってんだよ…」
「幽体離脱って言うのかな?魂が抜け出してて聞こえちゃった」
 彼女は俄かには信じがたい、という顔をしていたが、僕が「本当だよ」と言うと、納得せざるを得ないという感じで頷いた。そして、またにらみをきかせて低い声で言った。
「この事、誰にも言うなよ…。言ったら承知しねえぞ…」
 なまじ美人なだけに、かえって迫力があった。それでも僕は、なんだか嬉しい気がして、「うん、言わない」と微笑んだ。天ヶ瀬さんは戸惑った表情を見せ、何か言おうとしたようだったが、そこへ鎌田さんが医師と一緒に戻って来た。
 診察の結果、自力で動けるまで入院となった。と言っても数日で済むとの事だった。鎌田さんが「着替えとか持って来るから」と一旦帰ると言い、天ヶ瀬さんも一緒に帰る事になった。小鳥のような小声で、「助けてくれてありがとう」と深くお辞儀をして。さっきとはえらい違いだ。リアル天使、だもんな……二人が出て行き扉が閉まると、僕は可笑しくてクククと笑いを洩らした。




 結局、僕が退院できたのは四日後だった。鎌田さんが仕事を休んで来てくれる事になっていたが、一緒に天ヶ瀬さんも居たのには驚いた。
「鎌田さんから、八神くんは一人暮らしだって聞いて…手伝える事があれば…」
と言うが、こちらを見ない。恥ずかしそうにもじもじとする仕種が可愛らしかった。私服姿も初めて見た。淡いピンクのブラウスに紺色のふんわりとしたスカート。「荷物、持つね」と大きな鞄を持ったところを、鎌田さんが「こういう事は男の仕事だよ。佳純ちゃんは陽ちゃんを支えてやってくれ」と鞄を取り上げ、ニッと笑った。
 ───佳純ちゃん。
 いつのまにそんなに親しくなったの?と訊くと、「佳純ちゃんが毎日電話くれてなあ。陽ちゃんは大丈夫かって」と鎌田さんが先に立って歩いた。「…お見舞いに来れなくてごめんなさい。バイトしてるから…」と彼女はそっと隣に寄り添った。ふわっと甘い、いい香りがして、僕はドキッとした。
「バイトって?」
「来年、中学受験の子の家庭教師。うちの学校、受けるらしくて…」
 ふうん、と頷いた時、彼女の手が僕の腕に添えられて、またドキッとした。
 なんだ、この可愛い生き物は。
 学園中の男どもが『リアル天使』と騒ぐのも判る気がした。でも裏の顔はなあ…と思うと可笑しくて、僕は「ははっ」と笑ってしまった。「なあに?」と僕を振り仰ぐ彼女は、小動物のように可愛い。「いや、何でもない」と言うと、ちょっとムッとしてツンと横を向いた。
 彼女は「可愛い」と思われる要素をわかっていて計算でやっているのかとも思ったが、そのムッとした表情で、表裏があると言うよりは、二面性があるのだと思った。
 天使のように可愛い彼女も、口の悪い彼女も、彼女本来の姿なのだ。
 ただ、口の悪い自分を恥ずかしいと思っているのだろう。そんな感じがした。
 病院からは鎌田さんの車で自宅まで送ってもらった。鎌田さんの休みは半日だったので、これから会社に向かうから、と去って行った。広い家に、天ヶ瀬さんと二人きり───クラスの男たちが知ったら吊るし上げ間違いなしのシチュエーションだった。
「八神くん、お腹空かない?何か作ろうか」
「留守にしてたから何もないと思うけど…」
 キッチンに立つ天ヶ瀬さんが冷蔵庫を開けて覗き込み「本当だ」と呟いた。
「じゃ、材料買って来るね。サンドイッチでいい?」
「悪いよ、そんな…。コンビニ弁当でいいよ」
 彼女がふっと真顔になった。
「作ってやるって言ってんだよ」
「あ、はい…」と僕は右手を挙げて「サンドイッチでお願いします」
「ちょっと待っててね」と笑顔の彼女はもう、いつも学校で見ていたままの『天使』だった。エコバッグと財布を手にリビングのドアを閉め、玄関の戸が閉まる音で、僕は「怖え…」と呟いた。
 だが実際は、怖くはなかった。むしろ可笑しさの方がこみ上げて、僕はまたクククと笑って背中が痛くなった。ほぼ一人で動けるが、痛みはまだ残っている。
 僕はリビングのソファに腰掛けて、テレビをつけた。『新婚さんおいでませ』をやっている。
 天ヶ瀬さんと結婚したらこんな感じなのかな……
 って、何をバカな事を考えてるんだ!
 尻に敷かれるのが目に見えて、僕はぶるぶると頭を振った。
 そもそも、彼女は学園のアイドルだぞ。僕となんて、ありえない。
 僕はテレビを消して、ソファの背凭れに首を載せ、天井を見た。
「…冴えねえな、俺…」
 親父が死んで、死神なんてものになってしまって。
 死ぬ筈だった天ヶ瀬さんを助けたものの、自分が事故に遭って。
 映画のヒーローみたいに颯爽と助けられず、死にかけて。
 天使みたいな女の子に「クソバカ野郎」と泣かせてしまって。
「ああ、最悪だ俺」と両手で顔を擦った。
 物思いに耽っていたら、天ヶ瀬さんが帰って来た。早速調理にかかろうとするので、親父が使っていたエプロンを出した。小柄な体に大きなエプロンがまた可愛かった。
「すぐできるから、ちょっと待ってね」
「うん」と僕は彼女から少し離れて、エコバッグからレタスやトマトなんかを出すのを見ていた。すると彼女は頬を染めて「恥ずかしいから見ないで」と言った。
 これじゃ本当に新婚さんみたいじゃないか───!
 僕はソファにダイブして、クッションを抱え、赤くなった顔を隠した。キッチンの方から手際よく作業する音が聞こえる。───とりあえず、落ち着こう。僕は自分をなだめた。
 しばらくすると魚が焼ける匂いと、トントンとリズミカルな包丁の音がしてきた。魚?サンドイッチだよな?
 考えていると「お待たせ」とお盆を持った彼女がリビングにやって来た。
 僕は目の前に置かれた皿の上のサンドイッチの食パンをめくった。それを見てか、彼女はクスッと笑って「塩サバサンド。お口に合うといいんだけど…」と軽く俯いた。焼いた塩サバの下には輪切りのトマトとスライスした玉ねぎ、レタスが敷かれていた。
「いただきます」と手を合わせてからサンドイッチを頬張った。
「何これ、うっま」
 僕は手にしたサンドイッチのサバの断面を見た。脂の乗ったサバの旨味と、ドレッシングの濃い旨味が合わさって、パンに包まれている。初めて食べる味だった。
「ドレッシングも作ったの?」
「そう。簡単だけどね」と彼女は照れくさそうだった。
 僕は美味い美味い、とがっついた。彼女はというと、小鳥が餌をついばむように、少しずつ食べている。
「あとカレー作るから、夕飯に食べて」
「え?いいよそんな。気にしないで」
「まだ体痛いんでしょ?今日くらいゆっくり休んで」
 新婚さーん、おいでませー。
 司会者の声が頭の中でぐるぐるした。僕は相当赤面していたのか、彼女は僕をじっと見つめていたが、不意に「八神くんって」と食べかけのサバサンドを皿に置いた。
「彼女とかいるの?」
 は?
「いたら私のしてる事、お節介だよね…」
「いやいや、いないいない」と両手を振った。
「その…」と彼女は言い淀んだ。視線がふらふらと左から右へ彷徨う。
「よかったら…私と付き合ってくれる?」
「へ?」
「その、」と彼女はぎゅっと握った両手を膝の上に置いて、俯き加減で言った。
「私、八神くんの事、好きになったみたい。私の事、彼女にして」
 しーんと静まり返った。
「お近づきになりてぇ」と言っていたクラスメイトの声が耳の奥で再生された。
 お近づきを通り越して、いきなり、彼女?
 僕の沈黙を拒否と受け取ったのか、「ごめん、私みたいなの嫌だよね」と身を縮めた。
「あ…いや、そうじゃなくて…」呆然と答えた。
「突然で驚いただけ…」
 またしんと静けさが訪れた。
 何て答えるのがベストなのか。自分の気持ちがはっきりしなかった。
 ただ、今わかっている事は言おうと思った。
「私みたいなのって、『クソバカ野郎』の事?だったら僕は気にしてないし、むしろ嬉しかった。僕の為に泣いてくれて」
 僕は右手の拳で口元が緩むのを隠して「…可愛いと思ったよ」と言った。
「じゃあ…」
と僕を見る彼女に、この先は男の僕が言う事だ、と思った。
「こちらこそ…僕でよければ…」
 男が言うにはしまらない台詞だった。よろしくお願いします、と互いに頭を下げ、顔を見合わせると彼女はふわっと笑った。
 こんな…こんな笑顔…
 惚れてまうやろ───!