TOMOHIKO SAWADA
台本によれば第四ラウンドはクイズとなっている。正面のモニタは出題用の画像等を映し出すためだ。
古田が「男の頭脳対決〜」とのたもうて、音楽が鳴った。
……奴も相当疲れとるな。
先刻から、古田の目の細さが変わらない。彼の地蔵の如き笑顔が、腕相撲の辺りから固定されていた。古田が疲労しているのを見るのは数年前の、開発したソフトにバグが出て二週間連続で終電帰宅となった時以来だった。あの時はさしもの和泉も食欲不振になり、二人の異変に社内では富士山が爆発(噴火ではない)するとまで言われたものである。それ程までに激しい疲労が、たったの数時間で俺達を襲っていた。
「知性を競うこのクイズ、ルールを説明しますとすごろく形式になってまして、正解すると彼のボックス席が点数に応じて移動します。100点獲得すると彼女の所まで辿り着ける訳ね。フフフ、100点取らないと、いつまでも彼女と引き離されたままだよ」
そういう趣向だったのか。なるほど、それでここまで彼女達の席が彼らとは別になっていたのである。
気のせいか、彼らの目がキラリと光ったように見えた。
……俺も目がかすむ程疲れているのか。
「で、その先の問題は二人で相談して答えることが出来ます。その分難しいですよ。150点先取した方がこのラウンドの勝者となります。頑張ってね」
火村氏は犯罪社会学者、桜木氏はエンジニア。
専門分野は違うがいずれ劣らぬ色魔、いや識者だろう。
「それじゃいきますか。ここまで2ポイントでリードしてる火村さんから問題を選んでください」
「一般常識の10」
……一般常識を備えていたのか。
NOHARA KOMIYAMA
……嫌だな。
と、思った。あの桜木シュウヘイが、だんだんと近づいてくるのである。
……火村さん、頑張って。
切に願う私だった。
シュウヘイは、かつて私が勤務していた会社の先輩で、あろうことか前社長の子息である。後継者である彼の兄は昨年とある事件を起こし、現在拘置所に身柄を拘束されており、間もなく刑務所に送られる。
その被害者が私だ。
シュウヘイに会いたくない理由としては充分ではないか。
無論、彼自身は何の罪も犯していない。だが彼の顔を見るとどうしても事件を思い出してしまう。その上彼の顔は間延びしていると来たものだから、腹が立つ。
おまけに、成り行きで犯罪者の兄に代わって会社を継がねばならないのだが、現場で叩き上げられてから、という本人の意思は立派なものだとしても、叩いても叩いても、叩き甲斐のないへらへらした男なのだ。元々が兄の継ぐ会社であり、自分はただ好きで今の仕事をやっている。兄があんな事にならなければ死ぬまで今の現場に居るだろう。
「バカな奴」
思わず声に出すと、隣に座るアリスさんがゆっくりと振り向いた。
「何で?二人とも接戦やないですか」
彼女の言う通り、二人は順調に得点を重ねて、その度に彼らの回答者席は黒子の手によって押され、こちらに近づきつつあった。
……このピンク主体のセットに黒子は異様に目立つ。
「もう大丈夫?」と尋ねると、彼女は「何がですか?」と聞き返した。
「具合」
「もう平気ですよ。照明のせいで暑くて…それに緊張するし」
「彼っていつもあんなふう?」
「えっ」
彼女はかーっと頬を赤く染めた。「…ええ、まあ」
リラックスさせようと思ったけど、逆効果だったかな。
そう思いながら、話題を振ってしまった手前、言葉を選びながら話した。
「……見ている分にはユニークな人だけど、当事者にはちょっと困った人だよね。私もシュウヘイには散々恥かかされた」
そう言って笑ってみせると、彼女は「えっ、どうしてですか」と話に乗ってきた。
「あの性格だから。友達の前で恥ずかしげもなく口説くんだ」
「判ります!本当に恥ずかしいですよねあれは!ハリセンではり倒してやっと止まるんですから」
おや。意外に気の強いところもあるらしい。
ずっと恥ずかしそうに頬を染めて俯きがちだったから、もっとおとなしいのかと思っていた。
シュウヘイが得意分野である筈の人体生理学の問題を外した。
「…バカ。何あがってるんだ」口の中で呟く。
「んー、残念!桜木さん、ふりだしに戻ってください!」
嬉しそうに司会者が言うと、黒子がシュウヘイの座るボックスをざざざーっと後ろに引っ張ってゆく。台に突っ伏して右手をこちらに伸ばすシュウヘイに、観客が手を打ってどっと笑った。
「…だからそーゆーところが恥ずかしいんだって!」思わず赤面してしまう。
「ああ、せっかく60点も持ってはったのに…」
アリスさんは背筋を伸ばして、下がって行くシュウヘイを惜しそうに見た。「どっちの応援してるの」と私は苦笑した。
「だって桜木さん一所懸命やないですか。ノハラさんも、彼に早くこっちに来て欲しいでしょう?」
「………」
思わず見開いた目が熱くなるのが判って、私は彼女から顔を逸らした。
シュウヘイの顔を見たくなくて。
顔を見るのが辛くて。
……大丈夫。泣いたりしない。
私は顔を上げて彼女を振り向いた。
「ピュアなんだね君は」
「え?」
ピュアホワイト そう呼ばれる私達の天使、シオのように。
いいや、彼女も人なのだから、……腹を立てる事も、何かに苦しむ事もあるだろう。それでいてなお、誰かを思いやる心。
シュウヘイは口癖のように「心を作りたい」と言っていた。
おそらく今も会社の連中は耳にたこが出来る程、そんな話を聞かされているだろう。医療という分野において介護を通じ、より多くの人の手助けをするだけでなく。
「優しさや生きる力を与えるのは人の心だ。僕はそうしたものを作りたい」
彼が天使と呼ぶものは、人間なのだ。
そして一人でも多くの人に、優しさと、生きる力を。
バカな奴だ。夢ばかり見て。
火村さんがまた一問正解して近づいた。さすが犯罪社会学者だけのことはある。多岐に渡った豊富な知識で、不正解する事なくアリスさんの目の前までやって来た。
彼は不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「長い道のりだった……」
10メートルも離れていなかった筈だが。
シュウヘイはスタート地点から30点の問題を二問続けて正解し、火村さんのやや後方で早押しボタンに手を掛けている。
と、会場にピンポーンというチャイムの音が響き渡った。
「ジャンピングチャンスの問題です。桜木さん、正解して一気に巻き返したいところだね。また下がってもいいけどフフ」
下がった方が彼には楽しいらしい。司会者はニコニコとしてこちらへやって来た。
「彼女の方から出題してもらうサービス問題。何でもいいですよ?出題者チームが正解すれば50点。もう一方のチームが正解すると、なああんと100点!今までの努力は一体何だったんだろうねえ」
「無駄」
私の言葉に司会者は「その通り」と深く頷いた。
「で、出題するのは勿論、現在の得点が低い方のチーム。ノハラさん?何か問題出してください」
「えっ!…ええっ?」
そんな事を急に言われても。
「彼の得意な分野の問題なら一気に逆転だよ?相手チームに答えられないような問題を出すと有利だね。早くしないとチャンスタイムが終わっちゃうよ?モニタの周りのランプが全部消えるまでに出題してね。ではスタート!」
ピッピッピッという音とともに、モニタの周囲のランプが一つずつ消え始めた。
何を出題すればいいんだ。
シュウヘイの得意分野なら電子工学……いや、火村さんもなかなか博識な人だし……
緊張して頭の中が真っ白だ。
客席を振り返ると、三台のカメラのレンズが私に向けられている。観客の視線が痛い。ステージに向き直ると、シュウヘイがまっすぐに私を見つめていた。
どうしよう。
カウントダウンのランプは半分消えた。
シュウヘイが来る。ここに。
……あれ?
「…シュウヘイが正解したら、ここに来ちゃうって事?」
「そうなるねえ」
「冗談じゃない!5メートル以内に近づくなって言ったでしょ!?」
「この期に及んで何を言い出すんだノハラ!」
ガタンと椅子を倒してシュウヘイが立った。客席が沸く。私も思わず立ち上がった。
「ううううううるさいっ!来ないでよっ!シッシッ!」
「僕はノラ犬か?」
涙がじわっと滲んだ。
今、手の届く距離にシュウヘイが来てしまったら
「えーとえーとえーと……」
制限時間は残りわずかだ。ぐるーりと回る視界に、アリスさんの心配そうな顔がぼんやりと見えた。
「……アリスさんごめん!問題は、アリスさんのスリーサイズは!!」
ポーンと音がして、火村さんの席のランプがくるくる回った。
「え」
アリスさんが回転灯を見つめて固まった。
「卑怯だぞノハラ!」
「卑怯もらっきょうもあるか!火村さん早く答えて!」
「先生!答えたら絶対に許さへんよ!」
アリスさんは真っ赤になって涙ぐんでいる。本当に、ごめん。
どどどどど……と地響きがして、客席から誰かが走って来る。
白い影が目の前で唸りを上げた。
すぱぱーんっ!!どがしゃっ。
「つうか何でおまえがアリスちゃんのスリーサイズ知っとんねん!!」
「…け、健康調査票……」
真っ二つに割れた回答者席にめり込んだ火村さんの、執念でアリスさんに向かって伸ばしていた手がぱたりと落ちた。
火村さんが気絶してしまったので、収録は一時中断した。回答者席が壊れてしまったためクイズもそこで終了し、そこまでの得点から火村さんの勝利となった。
こんなゲームに勝とうなんて思わないけど。でも。
出演者は控え室で収録再開を待つ事になった。セットを一部修理するというのは建て前で、すっかり混乱してしまった番組をどうするのか話し合いでもしているのだろう。
女性出演者控え室で、アリスさんと二人きりになった。私は深く頭を下げた。
「本当にごめんなさい」
「ノハラさん」と彼女は私の肩に手を掛けて、顔を覗き込もうとした。
……見られたくない。
コンコン、と軽いノックの音がして、アリスさんが「どうぞ」と答えた。
私はゆっくり体を起こして、シオが部屋に入って来るのを見た。シオは「ノハラ」と呼んで、私の正面に立った。
「……シオ。どうしたの。一人で来たの?」
「シロウの指示。シュウヘイに頼まれたの」
「何?」
「キリエがシュウヘイに『ノハラの所へ行きなさい』と言って、シュウヘイは『僕じゃ駄目だから』と答えたの。そうしたら、シロウが私一人に行くよう指示した」
「………」
「シュウヘイが、『今頃きっとノハラは泣いてる』と言った」
「な……」
泣いてないよ、と言おうとするが、声にならない。
シオは微笑んで、両腕を伸ばすと私を抱き寄せた。
「元気を出してノハラ」
「……シオ」
頬に、胸に、背中に、シオの熱 ぬくもりを感じる。
これが彼の作る『心』。
これが、あの人の心。
私はシオの肩に顔を伏せた。唇を噛んで、涙をこらえた。……もう大丈夫、と顔を上げて「泣いてないよ」と笑ってみせた。
「ノハラさん。……すみません、席外せば良かった」と、アリスさんが恐縮している。私は「いいよ、そんな」と答えて壁掛け時計を見上げた。
「…遅いね、誰も呼びに来ない」
「そうですねえ…。あ、準備に時間かかってるんと違います?ほら、セットの入れ替えとか」
アリスさんは空気をかき混ぜるように明るく言って、「ここに台本ありますよ」と、テーブルの上から手に取って開いた。私も彼女に笑いかけた。
「次は第五ラウンドだっけ」
「はい!」
二人で開いたページを見る。横からシオが覗き込んだ。
「……………」
「……………」
「意味が判らない」と、シオ。
私達は顔を見合わせて笑い
固まった。
「……あはは。さーてそろそろ帰ろうかな」
「ノハラさんさりげなく帰ろうとしますね」
「大変お待たせしました!スタンバイお願いしまーす」
………逃げられない。
MARIA ARIMA
第五ラウンドの本番が始まった。
ぱっぱっぱ〜らぱらっぱ。ぱっぱっぱ〜らぱらっぱ。
ぱ〜らっぱっぱっぱっぱっぱっぱっぱらっぱ〜。
何だか古くさい、呑気なメロディ。
由加さんが「あっ!懐かしい〜」とニコニコして私を振り向いた。
「あーん、みんな若いから知らないよね?昔のテレビ番組のテーマ曲なの。ヤスキヨが司会だったんだよ。えーと、何だっけ?えーとえーと……」
真顔でカメラを見つめていた諒介さんが口元のマイクを手の中に収め、背中を丸めて由加さんの耳元に何か囁いて、再び背筋を伸ばしてカメラを睨んだ。
「そうそう!『プロポーズ大作戦』!………」
由加さんは右手の人差し指を立ててニコッと笑って言ったきり、……固まった。
「…………由加さああああああん目開けたまま気絶しないでえお願いっあたしを置いて行かないでええええええ!!」
ゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさ。
由加さんの両肩を掴んで激しく揺さぶった。
「………古田さんに説明してもらおうね?」
由加さんの傾けた首が、かくん、と鳴った。
プロポーズ大作戦。
……説明なんて聞きたくない!!
「いよいよ最終ラウンド突入!いや〜、スペシャルでもないのに長かったねえフフフフフフフフ」
「あ、古田さんの笑いが長い……。ちょっと怒ってるかも」と由加さん。
「男の告白対決!」
「つまりそれはこれまであの暴走特急が私たちの目の前で散々やらかしてきたことと全然変わらないってことじゃない!」
「つうか総集編」とモチさん。
「それ言うなら集大成やろ」と信長さん。
「こういうコーナーやから、誰はばかることなく心置きなくプロポーズでけるやろな」江神さん、そんな呑気な……。
「かっこよくて感動的なプロポーズをしたと思う方に、手元のボタンで点を入れてね。そんじゃあさくさくやっちゃいましょう」
照明が薄暗くなって、ステージの中央にスポットライトを浴びた火村先生の姿が浮かび上がった。