君さえいれば-3

YUKA IZUMI

 出番までは客席で見ていてもかまわないと言われたので、私はEMCの皆と一緒の席に着いた。すぐに席を離れられるように、一番端の席だ。私の隣のマリアさんも、着物に着替えている。私と一緒にいるところを見つけたスタッフが、「もう一人アシスタントが欲しい」と言い出して、急遽アルバイトとなったのである。私とは違う、若い女の子らしい色と柄。とても良く似合って可愛い。横にいる自分が少し恥ずかしくなってしまう。
 私のすぐ横の通路にはテレビカメラが一台あって、そこに諒介が着いた。彼は物珍しげにカメラを隅々まで眺め回してから、急に真顔になってふうっと息を吐き、「よし」と一人頷いた。カメラの上に『3』と書かれた札が立っている。
「澤田さんは?」と尋ねると諒介は「一番前。音声だ」と顎で示した。見ると、澤田さんは先端に細長いマイクを付けた棒を握って、一番前のやや端よりに座っていた。
 古田さんは、と訊こうとしたら、前説が始まってしまった。もう話しかけない方がいいだろう。一通りの説明を終えたスタッフが「それでは司会者が登場しまーす」と紹介してセット中央から早足で袖に引っ込んだ。入れ替わりに現れたのは    
「…………古田さん!」
 思わず声が漏れてしまった。古田さんはカールヘルムのピンク地のプリントシャツを着て、地蔵のような笑顔でセットの中央に立った。
     怖いくらいに似合っている。
 調整室からのディレクター(らしき人)の声が「それじゃ本番いきます」とスタジオに響いた。インカムを着けた諒介が小声で「はい」と答える。指示が出たのだろう。カメラの向きをほんの少し変えた。その足元にモニタがあって、諒介のカメラが捉えている映像を、私たちも見ることが出来る。古田さんをロングで撮っていた。
「ハートは熱く燃えてるかーい?炎の〜、ラヴラヴショウ!!」
 がくん、と思わず頭が落ちた。
 古田さんの口調は緊張感がないのだ。
 横で諒介の腕が震えているのが判って、私はそっと顔を上げた。笑いをこらえているんだろう……と思ったら。
 諒介は、真顔だった。
 何となく、足元のモニタを見る。
 古田さんがセット中央の扉に向かって手を伸ばしながら脇に移動して、扉がすーっと開くところだった。
「有栖川有栖さんと、小宮山のはらさんでーす」
 信長さんが「アリスーっ!」と声を掛け、私たちはわーっと拍手した。
「アリス頑張ってー!……頑張らなくてもいいけど」
 マリアさん、複雑な心境らしい。
 アリスさんは緊張しているようで、肩を竦めて俯きがちになっていた。その横にいる対戦相手の女性は……何だか少年のようだけど、女性なんだろう……驚いたような顔できょろきょろしている。
 諒介が「はい」とまた言って、カメラをぐいっと客席の方に向けた。古田さんがアリスさんに二、三の質問をして彼女を紹介する。
「珍しい名前だよね?本名?へーえ、推理作家と同じ名前だよねえ。会場にもいらしてるようですよ」
「あ、アリス先生。由加さん、この人が有栖川有栖先生ですよ」とマリアさんがモニタを指差した。
「へえ、優しそうな人だね。…何だろ、あれ」
 観客の視線を浴びて照れくさそうにしている作家の膝の上には、長くて大きな白い物が載っていた。




SHIRO HONJYO

「シロウ、ノハラの番よ!声掛けてあげなきゃ。きゃーっ、ノハラーっ!」
「キリエが目立ってどうするんだよ」
「友達甲斐のない奴ね。こんな時だからノハラを応援するんじゃない。ほら旗振って」
 僕はキリエの手製の小さい旗を振りながら「こんな時だからって?」と尋ねた。
「ノハラはあの事件のせいで素直になれないだけなのよ。こんなバカげたお祭り騒ぎでも、シュウヘイとちゃんと話し合うきっかけになればいいじゃない?」
 隣のキリエを振り返ると、彼女は丸い目ををぱちぱちさせて、「ね?」と子供っぽく笑った。
「……そうか。うん。そうだな」
 キリエは友達甲斐のある奴だ。僕も「ノハラー!」と声をあげて、旗を振った。
 司会者が、裏にバラの花の絵のついたカードを手に、ノハラに質問する。
「ノハラさんはフリーター?彼とはどこで知り合ったの?」
「…フリーターって何ですか。…いや、それより彼って誰」
「えーと。桜木修平さん」
 それを聞いたノハラの眼鏡がずり落ちた。
「職業はエンジニアか。ふーん?僕はプログラマだけど、収入に波があるんだよねえ。どう、その辺、結婚相手として」
「なっ」ノハラが赤面した。キリエが「あ、私も知りたーい」と呑気な声を出す。
「…何で私がシュウヘイと!大体、これは一体何をやっているの?」
「フフフ、照れ屋さんだね。ノハラさんから可愛いギャグが飛び出したところで」
 司会者が言うと、ギャグという言葉に反応したシオが「ウフフ」と笑った。
「………ノハラ、何も知らないで連れて来られたんだな……」
「ここは笑うところなの……?」
 呆然とする僕らを置いて、番組は進行してゆく。二人の『彼女』はセットの奥の席に座らされ、司会者が「早速第一ラウンドいきますか」と言うと照明が落ちて、ジャーンと音楽が鳴った。




MARIA ARIMA

 セット中央の扉にスポットライトが当たって、影になった司会者席から、由加さんの知り合いの古田さんがナレーションする。
「男の衣装は度胸と教養。だけどやっぱりおしゃれな方がいい。第一ラウンドは男のこだわり対決」
 森本レオみたいな優しい声に、気持ちの悪い台詞が乗る。
「働く男の凛々しさを表現する仕事着姿で登場です。桜木修平さん!」
 ぱーっと扉が開いて、スーツの上に白衣を羽織った男性が現れた。
「塵一つも許されない精密機器を相手にする、知性と繊細さを感じさせる眼鏡と白衣。洗いたての白衣の香りはどんなコロンよりも心をくすぐるもの。さりげなく個性を主張するネクタイにもこだわりたい」
「…この原稿書いた奴、変態や…」
「笑わずに読むんだからすごいわ、あの人」
 ぐったりするモチさんと信長さん。セットの奥では、桜木氏の彼女もぐったりして、その横でアリスが心配そうに彼女に何か話しかけているのが見えた。
「続いて火村英生さん!」
 扉が開き、助教授にライトが当たった。
「白は男の正装。桜木さんが白衣なら、火村さんは白のジャケット。ピュアな心を表す白だから、合わせる色で遊びたい。芥子色のシャツと黒のネクタイはしなやかな野生動物を思わせ、少年と大人の男の二面性を感じさせる」
「あいつの場合はケダモノ言うねん!」と、モチさん。
「恋人にも見せることのない、仕事に打ち込む男の姿。ノハラさんアリスさんどうですか?」
「別に見慣れてるし」
「あ、あの…先生の講義も取ってますし…。いつもそんな感じです」
 同じことを言っているのに、憮然としたノハラさんと恥ずかしそうなアリスが対照的だ。けれども「なあんだ。じゃあ二人はいつも彼のかっこいいところを見てるのね」と古田さんに言われて、二人は真っ赤になるという、同じ反応をした。
「確かに、講義の時の火村先生はまともやな」と江神さん。
「フィールドワークの時もまともやろうし」と信長さん。
「何で普段もまともになれへんのや」とモチさん。
「火村先生もまともにしてればかっこいいのよねえ。白ジャケはまともじゃないけど!いい男は何着てもかっこいいなんて絶対嘘だって!ねえ由加さん?……由加さん?」
 由加さんはステージを見つめてぼーっとしていたが、「…えっ?」と振り向いた。
「ごめん聞いてなかった。なあに?」
「いい男は何着てもかっこいいって嘘だと思いません?」
「え、……かっこいい時は何着てても……かっこいいと私は思うけど……うん」
 由加さんは真っ赤になってしまった。視線をふらふらさせる目が潤んでいる。
「……どうしちゃったんですか?大丈夫ですか?」
 私の声が聞こえたのか、諒介さんが体を折って由加さんの顔を覗き込み、口元のマイクを手の中に隠して「緊張してるのか。具合悪くなったら言いなさい」とだけ言うと、再びカメラに向かった。
 わ。……こっちが赤面しちゃう。
 前に会った時も思ったけれど。
 諒介さんて、由加さんをとても大事にしてる。
 けれど二人が恋人同士というのとちょっと違うな、と思うのは    この前気づいたのは。
 諒介さんは由加さんに近づく時、両手をポケットに入れたり、背中の後ろに回したりするという癖がある。
 これがあの暴走特急火村助教授なら、……話しかける時はさりげなく肩に手を置き、風が吹けば髪に触れ、アリスがボケれば頬に触れ、連れ去ろうとする時には背中に手を回す。(そしてアリス先生にハリセンでどつかれる)
 だから、諒介さんをとても不思議な人だと思う。由加さんのこと、どう思っているのか判らない。あんなに大事にしてるのに。
 ………火村先生がアリスを大事にしてないわけじゃないけど。むしろ大事過ぎて、
「俺はいつもおまえを腕に抱いて離さずにいたいんだ」
という火村先生を、アリス先生が「おまえはダッコちゃんかッ!」としばき倒した。
 火村先生がそんなふうにアリスに触れることは、ごく普通で自然なこと。
 しばかれる程のことではない………と先生は思うだろうけれど。
 人前でも平気でするからダメなのだ。見ているこっちは恥ずかしいし、アリスはもっと恥ずかしがってる、ただでさえ恥ずかしがりなのだから。アリスが嫌がることは私、絶対に嫌。
 だけど………
「…マリアさん、やっぱり、火村先生に票入れた方がいいよねえ?」
 由加さんの声で、はっと我に返った。ぼんやりしてしまった。由加さんは赤と青のボタンの付いた装置を手に、私の方を向いている。
「私は桜木さんの白衣の方がかっこいいと思いますけど?だって白ジャケですよ!」
「………」
 由加さんは笑顔のまま固まった。




TOMOHIKO SAWADA

 第一ラウンドは白衣の技術者の方に僅かの差で票が集まって、彼の勝利となった。
 由加の知り合いという火村氏は、同性の俺から見てもなかなかの美丈夫ではあったが、当然の結果だろう。白いジャケットはどうかと思う。
「OKです。出演者の皆さんは第二ラウンドのセットに移動してください」
 調整室からの声がスタジオ内に響く。インカムを通じた指示に従って向きを変え、マイクの高さを調節した。目の前に集まった出演者たちの声が耳に入ってくる。こちらのセットはセットと呼ぶ程のこともない、ブルーバックの幕が張ってあるだけだ。後でCGの背景と合成するのだという。
「それじゃ古田さんお願いします」
「はーい」呑気な返事。
「5、4、………」カメラの横にしゃがみ込むスタッフが指で秒読みした。
「第二ラウンド〜、男の腕対決!」
 何故いちいち『男の』ってつけるのか。
 俺は思わず頭ががくんと下がりそうになるのをこらえた。
「アリスさん、彼は腕相撲強い?」
「えっと…。見たことはありませんけど…。先生は研究室にこもらないで、フィールドワークであちこち飛び回ってますから、体力はあると思います」
「ノハラさんは?」
「知らない」
「二人とも初めて見る彼の腕相撲って事で期待も盛り上がってますよ〜」
 そうは見えないが。
「第二ラウンドに勝利すると、特別賞としてピンクシルバーのペアリングがプレゼントされます。顳かみの血管切れるまで頑張ってね」
 火村氏と桜木氏はジャケットを脱いで、シャツの右袖をまくった。中央の台に肘を載せて軽く手を握り合った。その手の上に、古田が空いた左手を載せた。
「そんじゃあいいかな。れでぃ〜、ごおっ!」
 スピーカーからカーンという音がして、二人が右腕にぐっと力を込める。打ち合わせでは、放映用の映像は背景にCGを使うと同時に歓声の効果音を入れるという話だったが、会場は静かだった。
 誰も応援しないのか。
 俺だったら応援して欲しいが。
 きゃー澤田さん頑張ってー。なーんてな。由加はきゃーなんて言わへんか。
 アホな事を考えてしまった自分に軽く脱力していると、インカムから誰かの声が耳に飛び込んで来た。
「…さっきは勝ちを譲ったが、今度は負けん」
 譲ったんと違うやろ。会場が選んだんやから。
 火村氏が桜木氏を上目で睨みながら喋っている。小声なので、桜木氏と側にいる古田と、マイクが拾っている声を聞いている調整室と俺にしか聞こえていないらしかった。
「何…っ?」桜木氏が聞き返す。
「……指輪なんて学生のアリスにはまだ早いと思ったが…っ、やはり…卒業前には渡しておきたいからな」
「はあ?」
 桜木氏の腕が外に倒れかかる。それをぐっとこらえて、二人の手は再び元の位置に戻った。
「俺は軽い気持ちで渡すんじゃないぞ。…左の薬指にはめてやるんだ…っ」
「ロリコンかあんたは」
 桜木さん、それ言うたらアカンて………
「それならそっちは…彼女と上手くいってないんじゃないのか?」
「大きなお世話だ。ノハラの心は必ず取り戻す…っ」
 ぐぐぐ、と火村氏が桜木氏の腕を倒し始める。
「アリス待ってろ……。俺はおまえの笑顔が見たいんだ……」
「……僕だってこれ以上……ノハラを泣かせてはおけない」
「フフフ、熱いねえ。こっちは寒いけど。この差をサーモグラフィで見てみたいね」
 何でも楽しめるんやな古田。
 俺は今にも倒れそうになる自分をマイクを必死で支えた。
 カンカンカーン。
「この勝負、火村さんの勝利!いやあ、気迫が違ったね」
と古田に話を向けられた火村氏は、
「アリスの応援がありましたから」
 …していたのか。気づかなかったが。
 見ると彼女は嬉しそうに頬を染めて小さく拍手をしていた。応援は心の中でしていたのだろう。可愛い笑顔だ。このために必死になる火村氏の気持ちは判る。……判るが。
「はいOKでーす。十分休憩入りまーす」
 ………口に出して言うなや。
 俺はがくんと頭を下げた。




YUKA IZUMI

「休憩です」の声に、諒介はふうっと大きく息を吐いて、私は「大丈夫?」と声を掛けた。彼は「うん。結構面白い」と答え、首を傾けて笑い、カメラを愛しげにぽんぽんと叩いた。
「じゃあ、次出番だから行こうか、マリアさん」
と彼女を促して、その場を離れた。後ろから「マリア頑張れよー」と声が聞こえる。
 顔が上げられなかった。マリアさんがあんなこと言うから。
 諒介が築地の会社に居た頃には部署が違ったし、彼は今大阪の会社に勤めているし、毎年恒例の展示会で彼や澤田さんと一緒に仕事をした時には自分の仕事で手一杯だったから、考えたこともなかったのだ。
 ここでしている事もプログラミングという本来の仕事ではないのに、真剣に取り組んでいる。諒介の真面目な性格は知っていたつもりだったけれど。
 知らなかった。そんな諒介が、かっこいいなんて。
 ………Tシャツはあれだけど。
 それでも、格好良く見えてしまった。本当に、着る物なんて関係ない。
 次の勝負の準備を進めるセットへ向かうと、その前に立っていた澤田さんが「由加。出番か」と軽く手を挙げた。
「澤田さん大丈夫?マイクずっと持ってるのって、腕痛くならない?」
「んー?大した重さやない」と言いながら腕を揉んだ。「それより砂吐きそうで」
「砂?」
「由加、顔赤いで。また火ィ吹くんか」
と笑う澤田さんに指先で頬を撫でられて、くらくらした。