愛のうた-1

「お、うまそうにできたやん」
 食卓にたこめしの茶碗が置かれると、夫はにこやかにそう言った。妻は「えへへ」と笑った。初めて作ったにしては上出来だ。結婚して早十ヶ月。苦手だった料理の腕もだいぶ上がったみたい……妻は上機嫌で夫のグラスにビールを注いだ。
 深夜の料理バラエティ番組で見た、たこめし。
 売り出し中のアイドルや異色キャラ女優等が出演して壮絶な料理バトルを繰り広げる番組だ。プロ並みの腕前を披露する者もあれば、芸術を爆発させる者もいる。まだ料理の下手な妻はその番組が大好きだった。それは彼女に、「あれなら私にだって作れるかも」という自信をつけさせてくれるのだった。
 愛があれば、ラブ・イズ・オーケー。
 新婚家庭、澤田家はまさにそんな感じだ。
 奥様の名前は由加。旦那様の名前は智彦。二人はごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも奥様には一つだけ、秘密があったのです。
 って去年の『夏すぺ』でも言ったって?
「ほっとけや」
「何?」
「いや、何か聞こえた気ィして…」
 前にもこんな事があったような。
 智彦は耳をそばだてた。空耳か、と思い直してたこめしを口に運ぶ。香りは良いが、気になるのは、この……
「たこ、デカイなあ。ブツ切りやん」
「だって大阪のたこ焼きとか、たこ大きいから」
「……」
 妻の愛なのだと思って頷いておくことにした。
「そや、明日行くか?映画。観たい言うてたやろ」
「あ、うんうん!」
 嬉しげに笑う由加に、智彦もつられて笑った。このところ残業続きでかまってやれなかったし、夏休みには海へ行く予定だ。買い物もしよう。
「…何時頃出よか。後でネットで上映時間調べたるわ。何観たいん?」
「『メン・イン・ブラック2』」
 地球には異星人が密かに潜入し、地球人になりすまして暮らしている。その異星人の起こすトラブルを始末するのがメン・イン・ブラックと呼ばれる組織である   この前テレビで一作目を観たな、と智彦は頷いた。あれはなかなか面白かった。現代の見慣れた風景の中に、姿も様々な異星人たちがいる、という場面は   
 智彦はふと箸を止めた。たこのような異星人の出産シーンを思い出したのだった。
 食卓にはたこめしの他に、たこの唐揚げと、たこときゅうりの酢の物があった。
「…たこづくしやな」
「今日はたこが安かったの」
「そーか…」
 智彦は遠い目で窓の方を見た。
 夜空に、何かがきらりと光った。
 飛行機か、と思う間に、それはだんだんと大きくなっていった。
「…何や、あれ」
    ういいいいいいいいいいん。
 金属の震動するような音が大きくなってゆく。
 光は星のような点から野球のボール大に、メロンパン大に、スイカ大にとみるみる大きくなり   
 ずごごごごごごがーん。
 うちのベランダに落ちた。



 それは、円盤としか言い様のない円盤だった。
 直径は1メートルもないだろう。真ん中に30センチ程の厚みのあるそれは、一言で言い表すならば、   銀色の巨大などら焼き。
 そのどら焼きが、ベランダのプランターに端を斜めに突っ込んで刺さっていた。
 智彦と由加は銀のどら焼きを前に呆然と立ち尽くしていた。
「…な、何…?これ…」
「誰や、こんなん…」
 誰かがベランダに投げ込んだ物ではない事は確かだ。ここはマンションの5階であるし、空から落ちて来るところを彼らは見ている。だが、時として人は   己が見た物を見なかったと思い、あった事をなかった事にする。そして己が理解できるよう、己の常識や理屈に事実の方を無理矢理に合わせようとするのだ。それが、人間の心理というものである。
 いったい誰のイタズラなのか、そう思う事で、智彦はそれを   銀のどら焼きを理解しようとしていた。
 その時、どら焼きの表面の真ん中に、丸い焼き印が現れた。
 息を呑んで見守る彼らの前で、どら焼きの焼き印はぴかっと光り、表面から浮いた。
 20センチ程浮いたろうか、焼き印の下には光の筒ができ、そこに、何者かの影が浮かんだ。影は筒から抜け出て来ると、どら焼きの表面をつるっと滑って彼らの足元に降り立った。
 ちゃーん……ちゃちゃーん……ちゃんちゃーん……
 どんどんどんどんどんどんどんどん……
 BGMが欲しいところだった。
 だが、辺りは静かだった。階下の部屋からテレビの音がかすかに洩れ聞こえてくる。そのごくありきたりな、うちのベランダに、何者かが立っていた。
 それはどう見ても   人間だ。ただし、身長が10センチにも満たない事を除けば。
 その人物は全身を包む黒いスーツの腰を探り、何かを取り出した。ベルトのような物を首に巻き付ける。喉元の四角い銀の箱のような物から細い棒状の物を引っぱり出し、先端を口元に寄せた。
「あ、あ、テステス。翻訳機能オン」
 日本語を喋っている!
 智彦と由加は思わずヤンキー座りでその人物に顔を近づけた。
 よく見ればその人物は小太りで、顔もまんまるだ。目玉が無いのかと思うほど細い目をこちらに向け、のんびりと言った。
「やあ。私はフルタミーノ。あなたが落としたのは、この銀の宇宙艇?それとも、ソフト塩ビの宇宙艇かな?」
「俺が落としたんとちゃうわ!!」



 三十分後、智彦は電話をかけていた。彼はマンション前の通りから自分の部屋のベランダを見上げた。そこからは銀のどら焼きは見えない。プルル、プルル、と二回の呼び出し音に続いて、ほのかに色香の漂う女性の声が淡々と応えた。
「古田です。只今留守にしております。ご用の方は発信音の後に…」
 真紀子さんの声か。
 智彦は、同僚の妻の声を無視する事に罪悪感を覚えながら電話を切った。
    やっぱり。
 古田稔は智彦の会社の同僚であり、部内でもトップの優秀なプログラマーであり、子煩悩な父親であり   そう、開発部で最初に夏季休暇を取る事を皆が快く見ていたのも、彼が実直な働き者で、優れた実績を持ち、かつ家庭を大事にする男であるという認識があったからだ。この週末から続けて週明けに3連休も取り、家族旅行に出かけると言っていたが   
 部屋に戻った智彦が見たものは、食卓の上で、小皿に盛ったたこめしを囲み飯粒を手にしたフルタミーノ一家だった。
 飯粒をにぎりめしのように頬張るフルタミーノの横で、美しい妻マッキーが幼い子供たちの為に飯粒を半分に割っていた。歓声を上げて受け取るマーナーカとイーサム。
    古田おまえ、旅行て宇宙旅行やったんか……
 和やかな一家団欒の風景が、智彦の目には涙でぼやけて映った。
 由加はテーブルの端に顎をのせて「おいしい?」と訊ねた。子供たちが「うん」と答えると、由加はにっこりして智彦を振り返った。
「ねえねえ、可愛い〜」
「おまえ、平気なんか」
「そりゃ最初はびっくりしたけど…」由加は少々困ったように肩を竦めて彼らを見た。
「こんなに可愛い子のお父さんなんだもの、フルタミーノさん、悪い人じゃないよ」
 そう言われると何も言えない智彦だった。
「それに、何だか古田さんに似てるし」
 だから怖いんやろ。
 とも言えず、「ああ」と曖昧に答えて椅子に腰を下ろす智彦に、フルタミーノは「ありがと。ありがとねえ」と先に礼を言った。
「宇宙艇の故障が直るまでは、僕らもここにいるしかないからねえ。迷惑かけるけど、しばらく置いてくださいよ」
 満面の笑みを浮かべるフルタミーノを智彦は軽く睨んだ。
「…信用してええんやな?」
「もちろん。我々のヨノー星やウラワー星、オーミャ星の属するサイタマ星系は、銀河連邦にも加盟している平和国家なんですよ」
「ほーお」と信用する以前に呆れて脱力する智彦とは対照的に、由加は「すごーい!」と目をきらきらさせている。フルタミーノは「ですからね」と二人に微笑んだ。
「地球人類は絶滅危惧種に指定されてるから、我々は君らを保護する義務があるの。フフフ」
「俺らはイリオモテヤマネコか!」
「まあ、そういう事だから決して危害は加えません」
「当たり前や」
 智彦は憮然と腕組みをした。
「で?宇宙艇の修理て、いつまでかかんねん」
「僕一人じゃ無理だけど、墜落する時に救難信号を発信したから、じきに助けが来ますよ。そうしたら、明日の朝には発てるんじゃないかしら」
「何や、思ったより早いんやな。助かるわー」
 ほっとしたのも束の間。
「…て待てコラ!他にもおまえの仲間が来るって事か!?」
「それまでに船の状態を調べておかないと。智さん、連れてってもらえる?」
「あ、ああ…」
「由加さん、そろそろ子供を寝かしてやりたいんだけど」
「お布団用意するね」
 フルタミーノは智彦の掌に載せられ、ベランダのどら焼きへと向かった。由加は箪笥からタオルを数枚取り出す。
 これ以上、どんな宇宙人がうちに来るねん。
 もはや完全に、フルタミーノのペースに乗せられている二人だった。



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