愛のうた-3

 リビングに戻った智彦にイズミ博士が歩み寄った。
「君、アナログ腕時計持ってる?機械式の」
「…え?まあ、あるけど」
「すまない、助けると思って譲ってくれないか」
「ええ?」
 今となっては身に着ける事はなく、時を刻まなくなって久しい。アンティークと呼ぶ事も出来ない中途半端な年代物だ。ただ、初任給で買ったという思い出の腕時計で、捨てられずにしまってあった。だが「船の部品を交換しなくちゃならないんだが、取り寄せるのに時間がかかる」と言われては仕方なかった。何せ宇宙から取り寄せるのだから、いつになるか判らない。思い出の時計が分解されてゆくのを切なく眺めた。
「そんなんで代用できるんか」
「バッチリだ。…と、これが欲しかったんだ」
 イズミ博士が取り出したのはゼンマイだった。
「歯車は外れただけだったけど、ゼンマイ切れちゃってたから」
「宇宙船の動力がゼンマイか!!」
「大丈夫、自動巻きだ」
 宇宙の科学は謎だ。
 博士は精密ドライバーを器用に使いこなし、修理してゆく。更に細かな部分は、博士の指示に従ってフルタミーノが行った。
「ほんまによう似とるなあ…」
「何が」
 智彦は答えられなかった。諒介が指先で細かな作業をしているのを、何度か見た事がある。
    もしも和泉が宇宙人だったら。
 やけに頭が切れる事や、自分の事を話したがらないのも、そのせいか。
 ハ、と智彦は小さく笑った。自嘲だった。
「それにしても遅いねえ。マッキー、君ももう寝ていいよ」
「ううん、まだ起きてるわ。あなた大変でしょう」
 10センチ夫妻の会話に智彦は「遅いて、何がや」と床にあぐらを掻いて訊ねた。
「警察。事故があれば来るのは当たり前でしょう?」
「そら通報せんと」
「したよ。墜落しながらライブで」
「ああ、ほんなら…って待て、警察てやっぱり地球のやない…?」
「もちろん」
 これ以上、…これ以上何が来るんだ!?
 いや、警察だってのは判っているが。



 ピンポーンとチャイムが鳴ってインタホンを取る。「警察の者です」と言われても、智彦は戸惑わなかった。……ドアを開けるまでは。
 そこにいたのは女の子みたいな童顔の青年だった。黒いTシャツとジーンズ。「味噌貸してください」とでも言いそうだった。
    ほんまに警察?宇宙の?
「銀河連邦警察地球日本国分署のヒトピーです」
 彼は身分証を見せた。
「はあ」
「一時間二十分程前、町屋上空で救難信号を発した宇宙艇が一機行方不明になりまして、捜索していたところこちらのお宅に不時着したと思われますが、お気づきになられましたか」
「見ての通りや」
 智彦はベランダを指差した。ヒトピーはどら焼き宇宙艇を確認した「ああ」という声を発し、「失礼します」と上がり込んだ。イズミ博士が「ご苦労様です」と一礼する。ヒトピーは無惨に壊れたプランターの前にしゃがみ、土やトマト、ハーブを触って検分を始めた。
「すみません。現場を保存しておくべきでした」
「…この植物の救助はどなたが?」
「イズミ博士ですよ」答えたのはフルタミーノだ。「そうでしたか」とヒトピーは立ち上がって博士に向き直った。
「現場をそのままにしていては手遅れになるところでした。勇敢な救助活動に警察も感謝します」
 どら焼き除けただけやろ!
「表彰ものですよ」
「いや…そんな、当然の事をしたまでで…その…」
「彼らもあなたに感謝しています」
 ヒトピーは微笑して家庭菜園を見遣った。



 リビングを取調室の代わりに、事情聴取を行う事になった。
 イズミ博士はベランダに置いた椅子に腰掛けて宇宙艇の修復作業を続けている。テーブルにフルタミーノ夫妻がのった。智彦はリビングの隅で壁に寄り掛かり、膝を抱えて座った。目の前にヒトピーのすり切れたジーンズと素足がある。ビンボくさ……そう思った時、彼は智彦を振り向いて苦笑した。
「あんまり事情聴取の雰囲気じゃないけど…」
と言ったかと思うと、いきなり両手を顔の前で交差させたその瞬間、彼の全身は濃紺の装甲スーツに包まれた。
「制服じゃびっくりするでしょ?」
 ガチャガチャと装甲の関節部を鳴らして自分に近付く鎧魔人もとい宇宙刑事に、智彦は「わかった!よーわかったから!」と壁に背中をぴったり付けて横に這った。装甲を解いて元の姿に戻ったヒトピーはクスクスと笑った。
「刑事と言っても結局駐在さんなんですよ。だから服装も持ち物も、普段は勤務する惑星に合わせてるんです」
「…そうやろなあ…」
 ぼんやりと見遣った宇宙艇には、航行記録をコピーする為にコックピットのコンピュータに小さなパッド型の機械が接続されている。ヒトピーが持参したそれはどう見てもpalmだし、彼が今テーブルに置いた白い物は、iBookにしか見えない。フルタミーノが話し始めて、智彦は再びベランダに視線を向けた。宇宙を飛ぶどら焼きの皮は、曲がった所をペンチで形を整え、割れた所は破片を集めて、瞬間接着剤でつなぎ合わせられつつある。
    あれもきっと銀河系の最先端技術なんやろな……
 智彦は考える事を放棄した。
 ヒトピーがiBookで調書を作成していると、メールが入った。予め墜落現場の照会を依頼しておいたのだ。誰にも覚られぬよう無言で開く。
 やっぱりそうか   
 三年程前、この東京で、数回の空間異常が観測された。そのどれもが築地と板橋の二個所を中心に起きている。dimensional hole、次元の穴と呼ばれる現象だが、地球では『不思議時空』の名で知られている。銀河連邦警察は密かに捜査を行っていた。そして、その現場に必ず一人の地球人女性が居合わせている事が判明していた。
 泉由加。
 当局は彼女についても極秘に調査した。空間を歪ませ次元の穴を通って移動する、いわゆる『ワープ』は宇宙航行の常識だが、一、惑星上で、二、宇宙艇の免許を持たずに、三、生身の体で、それを行う事は宙航法に違反する。由加は無意識に超空間移動を行っており、責任能力がなかった。当局は暫く彼女を(当人の知らぬ所で)保護観察する方針を定め、約二年前、彼女の能力が封印されて後に保護観察処分も解けたのだった。
 その泉由加が   現在は澤田由加として、この事故現場にいる。
 眠っていた能力が目覚めたのか。
 なぜ   
「…終わった」
 イズミ博士がそう言って、ふうっと深い息を吐いた。フルタミーノ夫妻が彼に駆け寄る。「出来たか」と立ち上がる智彦の声も少し嬉しそうに聞こえた。皆がベランダに集まったが、ヒトピーだけはiBookのモニタを睨んでいた。
 泉由加の能力を封印した人物、和泉諒介のデータが表示されている。
 ヒトピーは息を詰めて、そっとイズミ博士を窺った。
「ありがとうございます、イズミ博士」
「良かったなあ。今、由加起こしてくるわ」
「ま、…待ってください」
 寝室に向かおうとした智彦を止めたのはヒトピーだった。
    いいのか。
 いいんだろうか。話しても。
 和泉諒介も澤田由加も、由加の能力についてを澤田智彦には明かしていない。
 それを僕が   
「待ってください…。話があります…」
 ヒトピーは締めつけられるように痛む胸に手をあてて、その一言を絞り出した。



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