愛のうた-4

  由加。…由加」
 ぽんぽんと軽く肩を叩かれて、由加は目を覚ました。智彦の顔がぼやけて見える。
「フルタミーノさんの円盤、直ったで」
「ほ…ほんと?」
 体が重い。起き上がる彼女を智彦が支えた。
「大丈夫か」
「うん…。なんかすごくだるくて…」
 リビングには来客が一人増えていた。可愛い子…男の子?と由加は思った。彼は身分証を見せて「銀河連邦警察地球日本国分署のヒトピーです」と小さく頭を下げた。彼の前のテーブルの上にはフルタミーノ夫妻がちょこんと並んで座っている。マッキーが「具合はどう?」と訊ねた。
「大丈夫…。ちょっとだるいけど…」
「この頃、具合が悪い事が多いんだってね。智さんから聞いたよ」
「ひょっとして由加さん…」
 マッキーがにっこりしてフルタミーノを振り返り「ねえ?」と言った。フルタミーノもニコニコして頷いた。
「智さん、おめでとう。君も父親になるんだよ」
「…ええ?」
 智彦は目を見開いた。
「ほんまか由加」
「…わかんない…けど…」由加も頬を真っ赤に染めた。「心当たりあるかも…」
「うん」とヒトピーが頷き、目を閉じて微笑んだ。
「聞こえてるよ。新しい命の鼓動が」
    やった。やった。やったあ…
 声にならず、智彦は口をぱくぱくさせた。フルタミーノが立ち上がり、テーブルの端まで歩いて二人を見上げた。
「智さん、由加さん、良かったらこれから、僕らにお祝いをさせてもらえないかな?こんなに広い銀河で、偶然出会ったんだ。友人として、嬉しく思うよ」
「…あ…ありがとう…」
 智彦は床に膝を突いてフルタミーノの背中に掌をそっとあてた。
「ありがとう古田…いや、フルタミーノか…」
「ヒトピー刑事も一緒にね」
「僕は勤務中だから」
「カタイ事言わんと一緒に…」
 智彦の語尾が細くなった。深い呼吸を一つして「由加」と呼んだ。
「俺、下のコンビニ行ってくるわ。酒もつまみもあらへんし。…冷蔵庫にチーズあったやろ、あれ切っとけ」
「うん」
 由加が笑顔で頷くのを見て、智彦も微笑して勢いよく部屋を出て行った。
「すみませんねヒトピー刑事。ちょっとだけ」
「いいけどフルタミーノさんは飲酒はだめですよ。これから一緒に、署に行ってもらいますから。船の点検を済まさないと所轄宙域を出せませんからね」
「はいはい」
    なんて不思議で面白くて素敵な夜なんだろう。どきどきする。
 由加は両手を頬にあて、ほうっと溜息を洩らした。
 宇宙人と一緒に宴会なんて。おめでたなんて。
 お祝いは赤ちゃんの事だけじゃない、フルタミーノさんたちとの出会いにも。
 ふふっと笑ってキッチンへ行くと、そこにもう一人、壁に寄り掛かって立っていた。
「…諒介…?」
「聞いてたよ。おめでとう」
「……」
 二人は暫し無言で見つめ合った。
 ……諒介。やっぱり来てくれたんだ   
 由加の思いを見透かしたように、ふっと微笑む彼の眉が頼りなく下がった。
「フルタミーノさんの宇宙艇が落ちたのは、君が体調悪くて不安だったからなんだね」
「諒介…。どうしよう、私、また…」
 由加はふらふらと彼に歩み寄った。知らず手を伸ばして彼のシャツの袖を掴んだ。
「…智には言えない…。きっと怖がられる…」
 いやいやをする子供のように首を振ると眩暈がした。その肩を大きな手が抱き寄せた。
「大丈夫だ」
    諒介……
 諒介だ。前と何一つ変わらない   
「大丈夫だよ。…彼にはもう話した」
 智に   智がもう、……
「それでもあんなに嬉しそうに君を見る。異星人にも臆す事なく接する。友達になって、酒を買いに行く。澤田智彦は、そういう男だよ」
「……」
「由加、君が彼を選んだんだ」
「……」
「だから大丈夫。彼を信じて」
 耳元にかすかに聞こえる鼓動   かすかだが、それは確かな音だった。
 背後に人の気配を感じて二人はゆっくりと離れた。振り向くとヒトピーが立っている。左手にpalmのような機械を持ち、彼は静かに告げた。
「銀河法第220条により、連邦非加盟星系である太陽系第三惑星地球人類、澤田由加の本件に関する記憶を消去します」
 刑事の目は潤んで、映る蛍光灯の光が揺れて見えた。
「由加さん、何か言っておく事はありませんか」
 由加は諒介の顔を見上げた。彼は困ったような、寂しげな目で彼女を見つめ返した。刑事の結んだ唇がわずかに開いて「ツ、」と声が洩れた。
    ごめんなさい。
 傷つけた事、ごめんなさい。
 ありがとう。
 いつも助けてくれて、ありがとう。
 ずっと、…ずっと好きだった。
 自分の気持ちに背を向けていた事、ずっと後悔してた   
 由加の両目から涙が溢れた。
    でもそれは言わない。
 智が大切だから。これからずっと、精一杯愛したい人だから……
「…ありません」
 刑事は空いた右手を伸ばし、由加の額に軽く触れた。
「さよなら、由加」
 さよなら諒介   由加の閉じたまぶたの裏に真っ白な光が広がった。
 智彦はずっと玄関の外にいた。ドアの脇の壁にもたれ、通路に座り込み、顔を膝に伏せていた。やがてドアが開き、頭上から刑事の「智さん」と呼ぶ穏やかな声がした。智彦は思考に疲れた顔を上げた。
「由加さんの能力は封印されました」
「…そ…か…」
 細い声で答える智彦に指先をあてて、刑事は決められた事をもう一度言った。
「銀河法第220条により、連邦非加盟星系である太陽系第三惑星地球人類、澤田智彦の本件に関する記憶を消去します  



 翌日午後、東京駅の新幹線下りホームに和泉諒介の姿があった。
 その様子を銀河連邦警察の超小型追尾カメラが捉えている。モニタの前で頬杖を突き、彼はふわわと欠伸をした。
「…博士って演技派なんだな。地球文化人類学者よりそっちの方が向いてるんじゃない?」
 クスと笑ってコンピュータに話しかける。返事はない。
「…映画監督とかさ」
 返事はない。だが彼にはコンピュータの回路を走る電流が自分に応えてくれているのを感じていた。
「…彼が博士なのかって?それは秘密…あっと」
 モニタの中の諒介が、隣にいた女性の肩を抱き寄せた。スピーカーからの音声はかすかで、二人の会話は普通ならば聞き取れない。だが彼はその言葉をしっかりと耳にした。
 彼は肩を揺らし声を殺して笑い、カメラのスイッチを切った。すかさず上司の罵声が飛ぶ。
「ヒトピー!監視を続けろ!」
「警部補は他人のプロポーズの現場に居合わせたいですか?僕は嫌ですよ」



 フルタミーノの宇宙艇から、遠くなってゆく青い惑星が見えていた。
「…いい所だったね、地球」
「ええ。智さんたちが私たちを忘れてしまったのは悲しいけれど」
「地球も近いうちに銀河連邦に加盟するさ。そうしたら、また友達になれるよ」
「そうね。楽しみだわ…」
 その頃には子供たちも大きくなっているだろう。より大人になった僕らは、どんなふうに心通わせ、笑い合うだろう。
 その日を楽しみにしているよ   
 フルタミーノは、航宙誌にそう記録した。



2002.7.15



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